柴 又 七 福 神
寿老人 金亀山神宮院観蔵寺
平成廿六年一月六日
                   
 東京大手町 最高気温 10.5℃ 最低気温  2.1℃ 快晴 最大風速8.4m/s NW
                    
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柴又七福神 色紙

寿老人 観蔵寺 御朱印

縁起
文明元年(1469)僧空性坊の創立。
天文7年(1538)および永禄7年(1569)の再度にわたる国府台の合戦に焼失して荒廃したが、
承応2年(1653)隆敬法印によって再興された。
当寺に元禄9年(1696)無桃軒石鵬筆の「金亀山神宮院観蔵寺景園之記」一巻を蔵し、
享保10年(1725)当時の快賢律師が補修し、
上野国世良田荘(群馬県)総持寺の沙門慧弁が奥書を記した記録であったが、現在は所在不明である。

元文4年(1739)の「正福寺惣門起立録」には、次のように記されている。
曲金村 金亀山 神宮院 観蔵寺
本尊 観世音
開基 文明元年空性坊
元文4年迄 凡272年

三社明神社地 1畝5歩 御見捨
熊野権現社地 1畝歩 右同断
牛頭天王社地 1畝歩 右同断
山王宮社地 1畝歩 右同断
地蔵森 1畝歩 右同断
寺附田地 2反8畝10歩 御年貢地
買添 5畝23歩 右同断
同 1畝歩 右同断
同 2畝26歩 右同断
境内 4畝歩 右同断
御代官所 伊那半左衛門殿

右のうち三社明神は、現在の高砂天祖神社で、当寺が別当職を勤めていた。
本堂は大正3年の再建で、昭和38年修築された。
                     (葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より) 



8時過ぎ家を出る時の気温は+0.6℃でした。駅に着く頃には陽も上がってきました。
8:32発の電車が、踏切に入った自転車のトラブルの関係でなかなか発車しませんでした。
のろのろ運転でようやく日暮里駅に着き、ここで京成線に乗り換えました。
ホームに上がるとちょうど特急電車が入ってきたので、10分足らずで高砂駅に着きました。。
案内表示が改札口付近と、階段を下りた駅の出口にもありました。有難いことです。  線路に沿って歩いて行きました。
数分でお寺さんにある七福神の幟が見えてきました。
ぐるっと正面に回ると、寿老人の石柱とその脇には新四國八拾八箇所霊場の石碑がありました。お詣りが済んだ方が出てきました。
境内は柴又七福神と寿老人の幟が沢山立ってました。
水子地蔵尊      弘法大師 一千百年遠忌供養塔  供養の養の文字が羊の右に良があります。石に彫る時よく使います。
南天の紅い実が際立ってました。 柴又七福神
寿老人 金亀山 神宮院 観蔵寺
当山は、文明元年(1469年)の開創であるが、
永禄七年国府台合戦により焼失し、承応二年、法印驪ウが再興する。
寿老人は、七福神の第一におかれる長命の神で、寿福を司る神様である。
日本では室町時代より信仰が盛んである。
葛  飾  区
葛飾区観光協会

本堂に行くとお賽銭箱に貼り紙がありました。

防犯対策の為、入り口付近に近付かれますと
防犯ベルが作動致します。
階段の下からお参り頂きますよう、ご協力をお願い申し上げます。
合掌  観蔵寺


他の地域の七福神では本堂に上がってお詣りができるのですが、
残念なことに不心得者がいるのですね。

寿老人座像
寿老人は道教の神仙で、
南極老人星(カノープス)の化身とされる。

酒を好み頭の長い長寿の神とされる。
福禄寿はこの寿老人と同一神と
考えられていることから、
七福神から外されたこともある。

寿老人は不死の霊薬を含んでいる
瓢箪を運び、長寿と自然との調和の
シンボルである牡鹿を従えている。

手には、これも長寿のシンボルである
不老長寿の桃を持っている。

残念なことに鹿はいないようでした。


柴又七福神(右書きです)
壽老人


相当古いものです。
次の七福神を祀ってあるお寺さんに向かって発ちました。

お寺さんを出ると道端に春の七草が売られていました。
葛飾特産亀戸大根もありましたので買いました。
翌日の七草粥に入れていただきました。
美味しかったです。