柴 又 七 福 神
矢切の渡し
平成廿六年一月六日
                   
 東京大手町 最高気温 10.5℃ 最低気温  2.1℃ 快晴 最大風速8.4m/s NW
                    
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柴又七福神 色紙

江戸時代初期、地元住人専用に幕府が設けた渡し場のうちの一つ。
都内に残っている渡しはここだけ。
小説や歌謡曲で有名。

矢切(やきり/やぎり)は、
千葉県松戸市にある上矢切(かみやきり)、中矢切(なかやきり)、下矢切(しもやきり)の
3地区の地区の全体である。
これら3地区は松戸町に合併する前の各村単位(上矢切村、中矢切村、下矢切村)である。


地名については、戦国時代に起きた第二次国府台合戦にて、
里見方が矢が切れ負けたことから「やきれ」→「やきり」→「やぎり」となった説がある。

本土寺の過去帳に「妙心尼 文安四年(1447年)丁卯三月ヤキレ」の記述ある。
矢切神社の石塔に、元文五年(1740年)下矢喰村の記述がある。
江戸川の民営渡し舟である矢切の渡しがある。

矢切の地名は、江戸川の渡し舟として有名な矢切の渡しの由来でもある。
江戸川をはさむ矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、
現在も渡し舟が運行されている。

この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた
利根川水系河川15か所の渡し場のうちの一つであり、
観光用途に設けられたものではない。
かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人により運営されている。

この渡しが日本全国に有名になったのは、
明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。
現在、矢切にこの小説の文学碑が建立されている。
また、矢切の対岸柴又を舞台とする映画「男はつらいよ」シリーズの作中にも、
しばしば登場する。

昭和末期に作詞:石本美由起、作曲:船村徹の
歌謡曲『矢切の渡し』の大ヒットによって再び脚光を浴びた。


題経寺を出て江戸川の方に向かって歩きました。江戸川の堤防まではわずかでした。
堤防の上からの眺めはとても良かったのですが、風が強くて寒かったです。
この辺り一帯は柴又公園となっています。 凧揚げをしている親子がいました。
川岸に来るとお客さんを乗せた船が走っていました。大人200円とありました。
白いものをまとった人がいましたが、この寒空にお嫁さんが乗っているはずはないと思いました。
ズームで見ましたら白いものはコートでした。 水戸街道が近くにあるのですね。
堤防を上がって矢切の渡しから題経寺に戻りましたら、長蛇の列は消えていました。