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東京大手町 最高気温 10.5℃ 最低気温 2.1℃ 快晴 最大風速8.4m/s NW |
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巡礼・お遍路へ![]() |
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柴又七福神 色紙 | |
江戸時代初期、地元住人専用に幕府が設けた渡し場のうちの一つ。 都内に残っている渡しはここだけ。 小説や歌謡曲で有名。 |
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矢切(やきり/やぎり)は、 千葉県松戸市にある上矢切(かみやきり)、中矢切(なかやきり)、下矢切(しもやきり)の 3地区の地区の全体である。 これら3地区は松戸町に合併する前の各村単位(上矢切村、中矢切村、下矢切村)である。 地名については、戦国時代に起きた第二次国府台合戦にて、 里見方が矢が切れ負けたことから「やきれ」→「やきり」→「やぎり」となった説がある。 本土寺の過去帳に「妙心尼 文安四年(1447年)丁卯三月ヤキレ」の記述ある。 矢切神社の石塔に、元文五年(1740年)下矢喰村の記述がある。 江戸川の民営渡し舟である矢切の渡しがある。 矢切の地名は、江戸川の渡し舟として有名な矢切の渡しの由来でもある。 江戸川をはさむ矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、 現在も渡し舟が運行されている。 この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた 利根川水系河川15か所の渡し場のうちの一つであり、 観光用途に設けられたものではない。 かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人により運営されている。 この渡しが日本全国に有名になったのは、 明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。 現在、矢切にこの小説の文学碑が建立されている。 また、矢切の対岸柴又を舞台とする映画「男はつらいよ」シリーズの作中にも、 しばしば登場する。 昭和末期に作詞:石本美由起、作曲:船村徹の 歌謡曲『矢切の渡し』の大ヒットによって再び脚光を浴びた。 |
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題経寺を出て江戸川の方に向かって歩きました。江戸川の堤防まではわずかでした。 | |||
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堤防の上からの眺めはとても良かったのですが、風が強くて寒かったです。 | |||
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この辺り一帯は柴又公園となっています。 凧揚げをしている親子がいました。 | |||
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川岸に来るとお客さんを乗せた船が走っていました。大人200円とありました。 | |||
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白いものをまとった人がいましたが、この寒空にお嫁さんが乗っているはずはないと思いました。 ズームで見ましたら白いものはコートでした。 水戸街道が近くにあるのですね。 |
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堤防を上がって矢切の渡しから題経寺に戻りましたら、長蛇の列は消えていました。 |