柴 又 七 福 神
弁財天 真勝院
平成廿六年一月六日
                   
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柴又七福神 色紙

弁財天 真勝院 御朱印

縁起
大同元年(806)の創立と伝えられる古刹であるが、
開創の由来や開山等の名は明らかでない。
天文7年(1538)および永禄7年(1564)の国府台合戦の兵火に罹り、
江戸時代に入って、享保7年(1722)に焼け、
宝暦11年(1761)住持空眼が本堂・縁側・寝所を再建する
文化13年(1816)炎上、翌年住持実成は本堂・庫裡・玄関を再建する。
さらに安政2年(1855)の震災に遭い、明治5年住持快秀が本堂を再建した。
現在の本堂は昭和47年の新築である。
江戸時代には付近の古社柴又八幡宮を管理し、現在、永仁4年(1296)の板碑を蔵し、
門内右側には万治3年(1660)柴又村名主済藤次良衛門等の造立した五智如来石像がある。
(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)



矢切の渡しから題経寺に戻り、参道を西に駅の方へ向かってのんびり歩きました。
昔ながらのお店が何軒も連ねておりました。
創業明治元年の飴屋さん       寅さんと矢切の渡しもなか
草だんごのとらや
寅さんの映画で有名な髙木屋 お店の中は混んでいて座れませんでした。ツアー客の札がいくつも掛けてありました。
参道から柴又街道を北に向かい右に曲がるとすぐの処に真勝院はありました。
お寺さんの紋でしょうか。          長い参道です。  
   
柴又七福神
弁財天 真勝院

当寺の弁財天は、金光明経に表されている
八臂像の仏像で七福神中唯一の女神です。
インドの経典に出てくる、河川を神格化された
水の神様で、五穀豊穣の神様。
さらに、河の流れを言葉に置きかえると
詩・学問・芸能の神様でもある。
当山の弁財天の由来・年代等は不明であるが、
弁天供養に使われる六器(仏具)が保存されていることから、
古くから近郷近在の人々より信仰されていたものとおもわれる。
葛  飾  区
葛飾観光協会

 
             
葛飾区有形文化財

五 智 如 来 石 像
所 在 地 葛飾区柴又七丁目5番28号
指 定 年 月 日   昭和54年3月6日

密教では大日如来の智恵を五つにわけ、これに五仏をあて五智如来といいます。
真言の行者は、発心修行の結果、この五智を得ることができるといわれています。 
この五智如来石像は、造立碑から万治3年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門と、
相模伊勢原村の鳥居九良左右衛門等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を
祈って仏事を営むこと)のために建てられたものです。
向かって右から阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、
中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としています。
                                       葛飾区教育委員会

本堂でお詣りしました。
弁財天様は色々なものを手にしています。

弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。
ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī)が、仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。
経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、
日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。
「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」であるが、既述の理由により日本ではのちに「辨財天」とも書かれるようになった。
「辯」と「辨」とは音は同じであるが、異なる意味を持つ漢字であり、
「辯才(言語・才能)」「辨財(財産をおさめる)」を「辯財」「辨才」で代用することはできない。
戦後、当用漢字の制定により「辯」と「辨」は共に「弁」に統合されたので、現在は「弁才天」または「弁財天」と書くのが一般的である。
(Wikipediaより)


原語の「サラスヴァティー」は聖なる河の名を表すサンスクリット語である。
元来、古代インドの河神であるが、河の流れる音や河畔の祭祀での賛歌から、
言葉を司る女神ヴァーチェと同一視され、音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつに至った。

像容は8臂像と2臂像の二つに大別される。
8臂像は『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」の所説によるもので、
8本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)を持つと説かれる。
その全てが武器に類するものである。

同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、その像容は鎮護国家の戦神としての姿が強調されている。
一方、2臂像は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。
密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天、美音天と呼ばれる。
元のサラスヴァティーにより近い姿である。
ただし、胎蔵曼荼羅中に見える2臂像は、後世日本で広く信仰された天女形ではなく、菩薩形の像である。

「日本三大弁天」と称される、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺、江ノ島・江島神社、天川村・天河大弁財天社は
、いずれも海や湖や川などの水に関係している(いずれの社寺を三大弁才天と見なすかについては異説がある)。
江戸時代には江戸市中の各所に著名な弁天信仰あり「江戸七弁天」とよばれた。
その一つ、寛永寺・不忍池弁天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に中之島を築き、建立されたものである。
(Wikipediaより)


お詣りしました弁天様を載せます。
琵琶湖竹生嶋 西國三十三所第三十番観音霊場 宝嚴寺 辯才天 御本尊様は秘仏なので見られませんでした。
鎌倉江の島七福神 江島神社 江島弁財天尊 ここでも見られませんでした。
江戸最古 谷中七福神 弁天堂 辯財天尊